教会での初めてのクリスマス
こんばんは。
今日は23日。気分は祝日でしたが今年からは祝日ではないのですね。
平成気分がまだまだ抜けませんが、令和も平和に長く続きますように。
長崎は、布教の地として歴史的にキリスト教とのつながりが強い地域です。
長崎港が開港し、南蛮船が出入りするようになって、貿易船との商売を目的に、地元大名が率先してキリスト教を広めていったそうで、現在も県内に教会がたくさんあります。
我が家の近くにも3か所ほどあるのですが、
先日道を歩いていると教会の方から「よかったらいらしてください」とチラシをもらいました。
読んでみると、日曜日にクリスマス礼拝があるとのこと。
クリスマス礼拝の内容としては、25日にイエスキリストがこの世に生まれたことをお祝いするものだそうで、
礼拝と、こどもたちのページェント(生誕劇)を行うとのことでした。
今までキリスト教に縁のない私は、礼拝のイメージもよくわかりません。
でも、昔、長崎のキリシタンの人々が命を懸けて大切に守りたかったキリスト教の信仰ってどんなものなのか、
今も信仰を大切にしている方たちにとって、クリスマスってどんな感じなんかな?と思い、3歳娘とともに行ってみることにしました。
3歳娘に、「クリスマスって神様がうまれた日なんやけど、神様のおうち(教会のことを娘はこう呼んでいます)でお祝いがあるらしくて、一緒に行かへん?」と伝えてみると、
「お誕生日会?」と聞かれたので、
「神様のお誕生日会みたいなもんやと思うんやけど、かーちゃんも初めてやからどんなものかわからへんねん。だからいってみーひん?」と正直になにもわからんけどいってみることを話しました。
到着したのは、礼拝が始まって30分ほどたった後。
「チラシをいただいて、何もわからないんですけど来させてもらいました」と伝えると、聖書を貸してくださって、中に案内してくださいました。
牧師さんが聖書を通して、神様の言葉を話してくださって、お祈りをされていました。
聖書の内容は勉強不足すぎて理解が難しかったのですが、皆さんが聖書を開いている姿をみて、娘が「これはなんの本なの?」と聞いてきたので、
私「神様の話したことが書いてある本じゃないかな?」
娘「神様がかいたの?」
私「神様とか、神様のお手伝いするひとがかいたのかな?わからんねんけど」
娘「神様、こんなに大変だったと思うよ、鉛筆で」
私「それだけお話したいことがたくさんあったのかな?」
ひそひそ話で話し合った結果、わからないけれど、礼拝は皆さんにとって神様の考えを受ける大切な時間で、我々なにもわからないものでも少し緊張した、でもあったかい時間だな感じました。
礼拝中は、時折パイプオルガンから演奏が始まって、歌を歌ったりもしました。
パイプオルガンの音がとてもきれいで癒されました。
アーメンと祈るときは娘も目をつぶり、下を向いて一緒にやっていました。
礼拝のあとは、教会学校のこどもちゃんたちがやる生誕劇がありました。
イエスキリストがこの世を救うためにこの世に生を受けた場面を歌にのせて演じていて、
マリア様役や夫のヨセフ役の子たちの歌がとても上手で素敵でした。
何の知識もない私にとってもわかりやすくて勉強になりました。
最後にクッキーをいただいて帰りました。
帰り道に娘に、「今日どうだった?」と聞くと、
「おうたが上手だったね」
「神様はあんなにたくさん字を書いて大変だったと思うよ」と言っていました。
キリスト教の信仰は全くありませんが、長崎にくるまでは何も思わなかった
『クリスマスの本当の意味』を考えるきっかけになりました。
信仰をされている人たちは、教会の中でお互いに「クリスマスおめでとうございます」と声を掛けられ、
その言葉の重みや私とは違う感覚でクリスマスを大切にされていることを感じました。
クリスマスは、サンタさんがくる日、だけじゃなくて、
イエスキリストがうまれた日で、この人に救われている人が今もたくさんいるということ。
長崎の地で、命を懸けてこの信仰を守った人が多くいたということ。
令和の時代を生きる母として、もっと日本の歴史のことも知っていかなあかんなと思いました。
いよいよクリスマス!
我が家は3歳娘に
「いい子にしてたらサンタさん来るんやけどな~」という言葉を、今月なんど言ったことか。
半分脅しのような言葉を多用しながら、「これはあんまりよくないよな」と思いながら、サンタさんに力をお借りしている毎日です。
もっとうまいこと娘に言葉をかけてあげたいなとも思うので、
来年は、もう少し穏やかなお母さんになっていますように。
神様に、懺悔を聞いてもらって受け入れてもらいつつ、
日々笑って生きていられていることを感謝しようと思いました。