コロナ禍の出産 ②大雪とともに
こんにちは!3か月ぶりのブログになりました。
毎日ばたばたと小さい赤ちゃんと5歳の大きい赤ちゃんに関わって、気が付けば3か月も経っていました。
この3か月、赤子は大声で泣くため2回も声が枯れ、5歳娘は強烈な後追いをするようになりました。
ずっと3人でウロウロしている気がします。
できればもうひとつからだがほしい。腕もあと2本ほしいし、それが伸びるタイプの腕だったら最高。
でも本当に腕が増えたりしたら戸惑ってしまうので、一つの体に二つの腕で、できる範囲でやっております。
部屋は大荒れ。畳まれるの待ちの洗濯物がかごからあふれ、それもだいぶ気にならなくなってきました。
3回目の緊急事態宣言が出て、コロナ終息の見通しもつかない現在。相変わらず手が借りれる親族がいるわけでもなく、今日は何日で何曜日なのか、間違っているときも多くあります。
記憶がどんどんとんでいってしまうので、そろそろ今回の出産のお話を記せたらと思います。もうだいぶん昔のお話のように感じますが、よろしくお願いします。
年が明けて1月に入り、前駆陣痛が増えるようになってきました。
上の子のときは前駆陣痛はあまり感じなかったのですが、
今回は、下腹部痛はないけど5分おきで張ってるなと自覚がありました。
そんな中で一緒に腰痛が出てきて、「これは陣痛?」と不安になり、夜中に一度受診したりもしました。その時はモニターを付けて、確かに5分おきに張っているということで横になっていたのですが、まだまだ有効陣痛ではなく、その日はおいしい朝ご飯をたべて帰宅しました。
その後も5分おきのおなかの張りはしょっちゅう感じることはありましたが、痛みも強くならないし、数時間後には収まり、妊婦健診では子宮口もひらいていないので家で様子を見ていました。
その後1週間の間、前駆陣痛はだんだん強さが増し、夜中も何度か痛さで起きるように。
そして39週1日、朝からずっと張りを感じ、でもまだ痛みは我慢できるなと思いながら、幼稚園のお迎えは大事をとってお友達にお願いし、ひたすら横になって様子を見ていました。
しだいに痛みは夜中になるにつれて強くなっていきました。
間隔は10分おきくらい、でもまだ発作時は話せるな、でも前駆陣痛の中で一番痛いな、という感じ。一端病院に電話をしてみました。
しかしその時、長崎は観測史上2番目の雪が降っていた夜中。
地面は凍っていて滑りそう。上の子は眠っているため、旦那は家にいてもらわなくてはなりません。私一人で歩いていくのは、徒歩5分の病院であっても危ないのでは?という話になり、助産師さんと相談して、私が少し眠れそう、という話になったので、朝まで待つことに。
なにか変化があればすぐ連絡ください、といわれ、横になりました。
夜中2時間おきくらいに痛みで目が覚め、でも少し眠りつつ迎えた朝6時半。
陣痛間隔は6-8分、さらに痛みが強くなっていたのでもう一度電話。雪がかなり積もっており、タクシーは捕まらず、「歩いてくるのなら誰かについてきてもらってください」と言われたため、家でパンをかじってから仕事前の旦那と娘についてきてもらい、受診しました。
旦那は予定していた育休より2日早く、その日は仕事の日。娘は土曜日だったため幼稚園はお休みでした。
事前に出産前に娘の荷物を置かせてもらっていたお友達に連絡を取り、その日は旦那が仕事に行っている間娘を預かってもらえることになりました。
その段取りを終えると、私の気持ちも安心したのか、だんだん陣痛は強くなってきて、朝8時には子宮口3センチ。その時先生が「破水させますね」とぱちんと破膜し、「進んでくると思いますよ~」の言葉通り、朝10時には5センチ、10時半には8センチに開き、ぐんぐん痛みもついてきました。
陣痛の間は娘を預かってくれているお友達が娘の様子を写真で送ってくれていて、その写真や様子を見ながら私も頑張ることができました。
3人出産を経験しているそのお友達は、「お昼くらいには生まれてるよ」と心強い予測を立ててくれ、お昼ごはんはきっとこの痛みが終わっておいしく食べれているはずだ!と言い聞かせ、陣痛に耐えました。
ほかの部屋ではあと1人妊婦さんが頑張っていました。のちに授乳室で聞いたところ、この方もコロナで立ち合いはなく、どちらも赤ちゃんとママ二人で挑んでいた出産でした。助産師さんが私とその人の部屋を行き来している姿を見て、私だけじゃないぞ、ひとりじゃないぞと勇気づけられました。
そして迎えた11時3分。
2回いきんだだけで生まれてきた娘は2426gと小さかったですが、大きな声で泣いてくれて、本当にほっとしました。
経産婦であったことと、小さい小振りちゃんであったため、お産が進むのも早く5時間ちょっとのお産でした。
分娩時間が短かったこともあってか私も体力は一人目より残っている感覚があり、お産中目標にしていたお昼ご飯もおいしくいただくことができました。
入院中は家族の面会はNGだったため、私は自分の睡眠と赤ちゃんとの時間メインで過ごすことができ、これはこれでよかったなと思います。面会にくる人も初めから誰もいないので気を遣うこともなく、自分の好きなように寝て起きて食べて過ごした最後の日々でした。
ただ、娘とこれほど離れて過ごしたことがなかったため、私が毎日泣いていました。笑
テレビ電話をしていましたが、切るたびに娘に会いたくて。私の方が娘にパワーをもらってたんやなと感じました。
雪の日に生まれたことで旦那の仕事はその日からお休みになり、出産のお休みをもらって、結果そのまま予定通りの育休につながることができ、長女はずっと大好きなお父さんがそばにいてくれることになりました。
私の入院中娘は1度涙を流したそうですが、6日間旦那がそばにいてくれたため、元気に過ごしてくれていたみたいです。
今回の妊娠出産は、本当に周りの人に助けてもらいました。
この環境の中、私が安心して出産できたのは、
旦那に2週間の育休をとらせてくれた現場のスタッフさん方、
どのタイミングで陣痛が来るかわからないのにいつでも預かると言ってくれたお友達、
陣痛が来て一人で来る可能性があるからと健診で事前にたくさんの入院準備を預かってくれた病院、
何かあったら長く預かったりできるので言ってくださいといってくれた幼稚園の先生。
ほんとにほんとにたくさんの人たちのおかげでした。
この環境がなかったら、私は安心してお産ができなかったし、陣痛だってこんなに順調にこなかったかもしれない。
長くなりましたが、コロナ禍で人に支えられたお産を経験させていただきました。
次回からは、産後家に帰ってからのお話を。育休2週間をとってくれた旦那のフラフラな日常をお伝えしたいと思います。
これから奥様が出産をされるパパさんたちにぜひ読んでいただきたい。
産後育休で完全に主夫になったパパのリアルな日常をぜひ知って、参考にしてもらえたらと思います。