がんばれ関西弁
小さいとき、東京に住んでいた時期があった。
だから、父も母も京都の人間だったけど、私の話し方は標準語だった。
小6で大阪に引っ越したとき、
「標準語だといじめられるかもしれない!」と思って、そこから関西弁にシフトチェンジ。毎日家で聞いていたのもあって、スムーズに移行できた。
数年たち、中3の頃には、お笑いが大好きな立派な関西人になり、中学校の文化祭で全校生徒の前で漫才をしてしまうほど関西に浸かっていた。
大人になり、たまたま関東の人と結婚したけど、その人と話しててもつられることはなく、
その後転勤で千葉や長崎に住んでも『関西弁丸出しの大阪のオカン』として、各地で全てを曝け出してきた。
どこにいても関西弁は賛否あるけど、こどもたちは私の関西弁を認めてくれているし、私は好きだったからこれからも話し続けるつもり…だった。
気が付いた異変
長崎からもう一度千葉に来て3年。
小2長女、3歳次女、旦那は標準語で、
周りに関西人がいない環境で過ごすこと3年。
最近、自分の異変に気が付いた。
「〇〇なんじゃない?」と言ったり、
「〇〇しようよ」と話していたり。
「なにしてるの?」と聞いてみたり。
……なにか違うな……
……ハッとした。
「〇〇なんちゃう?」やん。
「〇〇しようや」やん。
……「なんかちゃうなぁ……」やん!
関西弁が…薄くなってる……!
昔染みついた話し方が表にでてきてしまっている…
あかん…あかんぞこれは…と気が付いてしまったのです。
(いや、別にあかんくはないんやけど)
(標準語でもあかんことないねんけど)
(ついでに話のオチもなくなってきた。
何も考えんとダラダラ話してしまう。
この間入院して大阪から両親を召喚したとき、
母親が面白すぎてちょっと反省した。
あぁ、怠けてんな私って思った)
愛しの関西弁
私は、関西が、関西弁が大好き。
関西弁に救われることは、たくさんある。
あったかいし、
話のきっかけにもなるし、
声が大きくても多少不躾でも「関西弁やから」という理由で許されることも多い気がする。
(そらどうやろ)
気がついたときは、関西臭を強く出すように意識してみることにした。
「なにしてんねん!」
「あきまへんでお姉さん」
意識しすぎると、「かぶれ関西弁」みたいになったりするで、そこは気をつけねば。
そこは長年染みついた感覚を大切に。
今後、まだあんまり好きやない関東が大好きになったとしても。
言葉はぶれたくない。
今の私の核になる文化なので。
忘れるな、私!
毎日自分に言い聞かせてやっている話でした。